ないものねだり

いつもそうなんだけど

私はいつも今の自分に不満ばかり持っている。

 

今は子供もいない、ろくに働けてもいない自分を

社会のゴミでダメで迷惑なものだと思っている。

 

本当に肩身が狭い。

 

子供のいない専業主婦を批判というか、

意味のない存在だというような感じの意見を見聞きするにつけ

本当にそうだよねと思う。

 

自分としては、それなりに、

少なくとも他の人と同じ程度には努力して生きてきたつもりだけど

まさかこんな価値のない人間になるとは思っていなかった。

 

他の人と同じ程度の努力ではダメだったのだ。

他の人と同じレベルになりたければ、他の人より何倍も

努力しなければ駄目な人間だということを、うっかり忘れていたのだ。

 

普通に子供ができて、普通に生産性のある人間になれると思っていた。

何の根拠もないのに、おこがましくも、何故かそう思っていた。

 

でも、考えてみれば

いつも誰かと自分を比較して落ち込んだり

自分の思う「なりたい自分」になれない自分を嫌悪したり

誰かを羨んだりしてばかりだ。

 

結婚前、派遣社員で働いていた頃は

正社員でない自分をダメで価値のないものだと思っていた。

 

派遣社員になる前、正社員で働いていた頃は

自分の仕事は交代要員など掃いて捨てる程いて、誰でもできるものだと思っていた。

 

そして、唯一無二の存在というか、その人でないとダメ!というような仕事

例えば「皆の役に立つすごい研究をしてる人」とか

「自分しか持っていない技術を持っている職人さん」とか

頭が悪いから漠然とした例えしか出てこなくて恥ずかしいけれど

そういう替えの効かない仕事をしている人を尊敬し、羨ましく思っていた。

 

きっと私は、自分が(ありえないけど)そういう替えの効かない仕事に就いたとしても

自分の仕事ぶりを恥じたり不満に思ったりして、

ノーベル賞やら勲章やらをもらうような人と比べて苦しむのだと思う。

 

そして、ノーベル賞や勲章をもらうような人になったとしても

神様のような存在と自分を比べてグジグジ思い悩むのだと思う。

グリム童話の、「漁夫とその妻」みたいだ。

 

今、自分には家もあって、ご飯も食べられて、

確かに倖せなのに

なんだか浅ましい人間だなあ、と思う。

 

手の届かないものを欲しがるのは簡単だ。

 

望んだ道を歩くことはできなくても

望んだ風景を見る事はできるかもしれない。

 

そう思って今日をありがたく思う。